観光総合

[京都の謎 #5] 東本願寺 同朋会館 石碑 皇紀二千六百一年 新西境町

不思議な立地石碑、国旗掲揚台を調査。

スポンサーリンク

写真と解説

東本願寺の南側の道、七条通と東本願寺の間。同朋会館という施設の門前。

 
完全に門にかぶっていて異物感がすごい。

 
道の端というには飛び出ていて、非常に邪魔であり危険。
電柱のように反射板もなく、夜は危ないであろう。

 
補強してある。どうみても鉄道のレール。

 
上下に貫通した穴がある事から「国旗掲揚台」だと思われる。穴は国旗のポールをボルトやロープで固定する為の物。
特に紀元二千六百年記念(後述)では全国各地にかなりの数が作られた。

皇紀二千六百一年
1940年(昭和15年)に国を挙げて行われた【紀元2600年記念行事】紀元(皇紀)とは初代天皇が即位してから2600年という事。それに合わせて建てられたのだろう。
しかし2601年と1年ズレているのが少し気にる。
1年ズレたのは石屋が大忙しで間に合わなかったのか、2600年に建てなかった事に対して圧力が来て大急ぎで建てたとか?
 
新西境町
現在この町は存在しない。

撤去や移設はしないのか

現代の交通安全意識としては移設や撤去をするの当たり前だと思うのだが。
 
東本願寺としても邪魔なのではと思い、同朋会館の守衛?さんに聞いたところ「東本願寺の所有物ではなく、行政の話になるのでこちらは何も出来ない」との事。

ではなぜ行政は動かないのか妄想すると、
・所有者、権利者が昔あった町、町民なので特定できない。
・所有者が移設に反対。
・移設の土地や費用、移設後の管理等を誰が負担するか。
・事故はまだ起きていないから動くのが面倒。
などなど。

役所にまで真実を聞きに行くほどの興味は無かったのでここまで。

動画

YouTube / ニコニコ動画

コメント