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[京都の謎 #3] 大宮七条にある道のような公園

このシリーズ、動画では13回目なのですがブログにするのは3回目。今回は文字化して検索にひっかかるようにした方が後々の為になると判断。

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場所

大宮七条の北西。平安中学校・高校正門のすぐ横にあります。

写真

平安高校正門横から北へ140mほどの裏路地が、道なのに何故か公園。

 
正面通から南を見る。

 
やたらと低いベンチ。座ったら立ち上がるのが難しそう。

 
公園という体裁の為だけに設置されたのか、元々他にも遊具があったのか…とにかく意味不明な鉄棒。夜間に通るとぶつかりそうな気がします。

 
妙に厳戒態勢な共用水道。ここまでお金を掛けて警戒するのは珍しい。一般的には共用鍵(Amazon)だけで済ます。

 
珍しい三連。右はお稲荷さん、中央はお地蔵さん、左は木食上人。

なぜ道なのに公園なのか

市役所のサイトやネットで調べても詳細不明。公園名も不明。

以下、現地の家から出てこられた御婦人に話を聞かせていただいた事を要約。なお御婦人も聞いた話なので苦情等は私(執筆者)にお願いします。

昔、ここには道とドブ川(排水路)があったが、人が排水路に落ちたり雨水が溢れる事があったので、ここの町民達で蓋をして全部道にした。
その後なんやかやで市が土地を買い取り、なぜか公園になって誰でも通れるようになった。
夫が地元民だが私は平成にここへ来たのでこれぐらいしかわからない」


との事。
なぜ市が買い取った?
土地の権利?暗渠になった河川の法的な物?
なぜ公園化?
地元民の要望?道路の基準的な関係?ある程度のエリアには公園を置くという条例か何かの為?

これ以上は役所、町内会、町の古老などに話を聞くしかないが、私は満足したのでここで調査終了。

木食上人碑について

京都市下京区 木食上人碑 供養碑

下京区役所によると木食上人供養碑。(リンク
木喰(木食)とは称号で、ここに祀られているのは江戸時代の「養阿」
詳しくは朋厚房正禅法師、木食正禅養阿上人などで検索を。
なぜここに祀られているのかを先の御婦人から教えていただいた。

「上人がここに住んでいた事があった。この土地を離れる際、この町の家の屋根から上には火が出ないよう、そして恵みの雨を約束した。それで今でもお祀りし続けている」との事。

証拠の無い伝聞だが、供養碑がここにある理由がネット検索しても出てこなかったのでここに記す。

動画

YouTube / ニコニコ動画

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